2011-01-18

明けましておめでとうございます

2011年が明けました。昨年中はいろいろとご協力をありがとうございました。今年は、一人旅+何人かの旅になります。本年もよろしくお願い申し上げます。

本年初のブログのコラムですが、いろいろと抱負を述べたほうがいいのかもしれませんが、違う話題から始めたいと思います。

「カレンダーガールになった枯れ葉剤被害三世」の話です。
「私は、呼吸する時に何の痛みも感じない私の友だちのようになりたいな」と、ベトナム中部ダナン市の3年生グエン・ティ・リーちゃんは言いました。
グエン・ティ・リーちゃんは9才。彼女の胸骨には先天性奇形があって、呼吸をすると、骨が心臓と肺を圧迫するために痛みで呼吸が苦しくなるのです。リーちゃんの顔にも奇形性があります。ベトナム戦争中にエージェント・オレンジに曝露した家庭に生まれた人々の共通の特徴です。 何故エージェント・オレンジという色の名前がつけられたかというと、アメリカ軍が保存管理していたドラム缶に付けた1本のオレンジ色の帯からでした。それを知らない人は、ただのオレンジ色であり、知っている人は、口に出せない内容だったから色で隠したのです。だから、このオレンジは、知る人ぞ知るには暗号だったわけです。

1961~1971年の間に、アメリカ軍は、南ヴェトナムの3万平方マイル(約5万平方キロ)の領土に、約8000万リットルのエージェント・オレンジを含む枯れ葉剤を撒布しました。
この致命的な化学剤に何故エージェント・オレンジという色の名前がつけられたかといいますと、アメリカ軍が保存管理していたドラム缶に付けた1本のオレンジ色の帯からでした。それを知らない人は、ただのオレンジ色であり、知っている人は、口に出せない内容だったのです。だから、このオレンジは、知る人ぞ知る人々の間では「最強の毒物」の暗号でした。
1975年のベトナム戦争終結までに、ほぼ480万人のベトナム人がエージェント・オレンジに曝露したそうで、その結果は40万人の直接的な死亡に帰したのです。
リーちゃんは、致死的な枯れ葉剤の影響を受けた第三世代の子です。祖父レ・ズイ・ティン(Le Duy Tinh)さんは、戦争中数多くの戦闘の最前線であったクアンチ省で従軍した兵士で、枯れ葉剤撒布の初期に曝露した兵士でした。
リーちゃんは、ダナン市南部の海岸地帯のグ・ハイン・ソン地区に、両親と弟と住んでいます。
こんな景色の見られるところです。
リーちゃんを撮ったアメリカのカメラマン、エド・カシさんの写真がユニセフの「2010年最優秀写真」コンテストに優勝して以来、ベトナムの人々はこの悲劇の家族の話をよく知るようになりました。
リーちゃんの両親は、ベトナムの新聞社の記者が、最近訪問した時に、彼女の写真が世界の写真コンテストに優勝したと教えられて喜びました。
しかし、新聞に載ったリーちゃんの生活と毎日の苦闘の話を知ると、人々の喜びは束の間になりました。
リーちゃんの母、レ・ティ・トゥーさん(LeThiThu)は、「私の父親はベトナム戦争中にクアンチ戦場でダイオキシンに曝露しました」と明かしました。
「弟と私は、父の曝露によって先天性奇形で苦しんでいます。私の弟は、生まれて数年後に死にました。私は、生まれてこのかた、痛みと恥に耐えてきました。夫のズオンが私の身体的な欠陥に目をつぶってくれて喜んで結婚してくれたので運がよかったのです」と、トゥーさんは言いました。
リーちゃんは早産で生まれました。リーちゃんが生まれた時は、わずか1.7キログラムだったそうです。そして、リーちゃんもまた同じような奇形性に苦しんでいます。「リーが生き残ったことは奇跡でした」と、トゥーさんは言います。
5歳になっても、リーちゃんは歩くことができなくて、片言しか話せなかったそうです。幸運なことに、トゥーさんの第2子は健康な息子でした。二人は、今、ハイチャウ区ファムホンタイ小学校の3年生として勉強している。
戦争の遺産
ユニセフ写真コンテストに勝ったリーちゃんの写真には、ヴェトナム:戦争の遺産 という名前が付けられています。
カシ・カメラマンは、写真シリーズで、『ヴェトナムの子供たち』という組織から援助を受けるダナンのもうひと家族とリーちゃんの日常生活を写しています。
「私は、人類と我々の世界情勢で私の情熱をかきたてる問題を扱います。私は、人々の心を変えゆく静止画像の力を、深く信じています」と、カシは写真コンテストのウェブサイトでライフワークの焦点を述べています。

カシ・カメラマンは、特に幼き『復員軍人』に焦点を当てています。「カシ・カメラマンの写真は、戦争は一世代に留まらず、終焉無き苦しみを引き起こすことを伝える ものです」–これが、とユニセフの声明です。
「ユニセフ写真コンテストは、我々に世界中の子供たちの運命を大事にするように求めています。2010年最優秀作品は、子供たちの苦しみを忘れないで・・という訴えです。それは、戦争が終わった何年たっても、戦争は子どもたちに猛烈な影響を与えるということを思い出させる立派な作品です」
ユニセフ女性スポンサー、ベッティナ・ウルフさんは、昨年12月17日のベルリンでの授賞式で挨拶しました。
公式推計では、ヴェトナム全国には120万人の障害児がいます。ダイオキシンの重度汚染地の汚染除去作業がいくつか行われていますが、長年にわたって曝露してきた何百万ものベトナム人家族にとって、エージェント・オレンジの影響がいつ止まるのかは、誰にもわかっていません。

尊敬する恩師の一言をここに書きます。

顧(かえり)みれば、大量破壊兵器である化学兵器や生物兵器については、使用はおろか、保有自体が国際的な不名誉であるとの認識から、全面的に禁止する条約が締結されております』と。

なのに、自分が撒いたことへの責任を果たさず、ベトナム被害者には目をつぶる行為は不可解です。

励ましの力を使いながら、ベトナム被害者と共に歩くことを今年も重ねてまいりたいと思います。

北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊since 1990
当ブログの無断転載を固くお断りします。

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