2010-10-13

支援の旅(50)フート省5交歓昼食会

【会長同士の握手】宮尾会長と握手をしている方が、ファム・フイ・ニエム会長(右)↓です。
ここで、ニエム会長のお話をご紹介します。

「フート省では、枯れ葉剤の被害者は6000人です。769人が亡くなっています。
現在枯れ葉剤被害者手当を受けている人の数は、5614人です。この中で、第一世代は2662人です。第二世代は2752人です。

現在,新たに調査しないと行けない人の数は17000人になります。(註:枯れ葉剤被害の疑いの出ている人のことを指している)明らかにそうだと思える人、どこも痛まないが、枯れ葉剤の疑いが濃い人がいます。お嫁さんをもらわなくてもいいからと言って、申請しない人もいます。

しかし,困ったことには、被害者の数がどんどん増えていくことです。第三世代は手当が認められていませんが、今のところ,認める方向にはありません。今のところは、被害者を第二世代の中から選ぶやり方です。

省都のヴィエッチ市の第二世代の数を申し上げます。10人が大学生です。短期大学9人、日本留学生一人、職業訓練学校3人、高校4人、中学7人、小学生29人となっています。これはヴィエッチ市だけの数字です。このほか、2人の通信教育生を持っている家が、14世帯あります。

当省は枯れ葉剤被害者協会の組織化が遅れていて、省都と、あと一つの郡にしか、協会組織はありません」

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【日越友好】(下の写真)・・・軍服をお召しの方は、枯れ葉剤被害者協会の副会長。ファム・ヴァン・ヒエップさん↓は、退役大佐。戦場にも長く、軍生活も長かった方です。63年に入隊。戦場は、クアンチ省のケサイン、クアンビンだったそうです。軍を出て大学で勉強したそうです。2007年5月定年を迎え、枯れ葉剤被害者協会に勤務。
旧友ですか? 戦友ですか? ↑
ニエム会長(左)↑と笑談する外務省のタインさんは、フート省の出身です。フルネームは、Le Duc Thanh さんです。 日本と同じ呼び方で、姓が先に来ます。彼の姓は”レ”です。タインさんのエピソードを一つ書いておきます。


ある時、タインさんが会社で眠そうにして、疲れているように見えました。1996年でした

「どうしたの?」と聞いたら、紅河の洪水で、水が床まで来て、あまり寝られない・・と言うのです。彼の家は、紅河(ほんがわ)のすぐほとりでした。市内からみれば、土手の外でした。
そこで、私は、ポケットマニーで、市内のホテルを3週間ほどとってあげました。
でも、まだ疲れていそうなので、どうしたの?と聞きました。

義理のお父さんをそのホテルに泊めさせて、自分は相変わらず、洪水の家から出勤していたのです。
「タインさん、それはだめだよ」といいましたが、良く考えて見れば、義理のお父さんの家に居候していて、自分だけ安全な場所に移るわけにはいきませんよね。私は仕事優先、彼は家族優先・・彼の方が正しかったのです。とっても優しい人なんです。

褒めすぎですか? 

マイ・ティ・トーさん↑(左のご婦人)のことに少し触れておきましょう。これは、8月18日に、奨学生に話した内容です。
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「マイ・ティ・トーさんは、1973年8月24日に559部隊に入りました。
ご長女のグエン・ティ・ホン・タオさんは、1981年4月白血病でなくなりました。4歳でした。今日のこの奨学金の贈呈式をご覧になって、お嬢さんのことをきっと思い浮かべていらっしゃると思うのです。最愛の我が子の命を3人まで枯れ葉剤に取られたお母さんですが、常にフート省の女性の戦友を鼓舞して声をかけてこられました。立派な方です。自分が立派な地位にあるとか、裕福な境遇にあって人を励ましていったのではないのです。

 むしろ、一番大変な現実の苦悩に直面しながら、それにも怯まず、人のために動き、一緒に進むからこそ、偉大だと思うのです。母とは【永遠に負けない人】です。

 いつか、時間をとって、話を聞いてください。

トーさんもそうです。ニエム会長もそうです。ヒエップ副会長もそうです。地域・社会にどう貢献できるか ── 事務局長のトアイさんも、故郷のためにと、大学を離れて戻られました。なかなかできないことです。

 大事なのは、地域です。これを忘れてはなりません。

 わが地域の一人一人の力を高めゆくところから、勝利と真の発展の道は必ず広がっていくということを知ってください」と、奨学生に話しました。
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こちらでも、女性に囲まれて友好の輪が・・・・・鶏三昧の食事でしたが・・・
(つづく)

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