2010-10-13

支援の旅(49)フート省4奨学金

記念撮影をしました。
北極星は 北天の中心にきらめく星。人は、その存在で方角を確かめて、旅の歩みを進め、夜間の航海に臨みました。北極星は、
輝く道しるべ。フート省の北極星グループになってほしいとの祈りを込めて・・・
頑張れ!フート省北極星グループ。輝け!満天下に。
この和解人達との出会いを宝”にとの思いで・・・・

出席してくださったご家族も入っての記念写真です。
5人の生徒の胸の中に、どんな思いが去来しているのであろうか? ともかく、幸せになってほしい・・・
記念撮影のあと、グエン・ティ・トゥー・ハーさん↓が、奨学生を代表して謝辞を述べてくれました。

私は、枯れ葉剤被害者家族の第二世代です。今は医療専門学校で勉強しています。皆様から戴いた奨学金のおかげで、勉強の困難も少なくなり、私たち学生の生活にいろいろな面で役に立ちます。今後も、皆様のような奉仕団体が増え、奨学金でもっと多くの人が学べるようになることを希望しています。今日はほんとうにありがとうございました。最後に、日本から来られた皆様のご健康とお祈りします」(拍手)
また,この後、フート省枯れ葉剤被害者協会ニエム会長からもお礼の言葉を頂きました。

ベトナム戦争で、ベトナムがアメリカに勝ったことは世界に有名になりました。しかし戦争の被害がたくさん残っています。枯れ葉剤の被害は、最も重い影響です。フート省では,いま枯れ葉剤の被害者は15000人ほどです。その中で、国家から手当を受けている人は6000人です。500人が亡くなりました。いま、病気と戦っている被害者は5666人です。その中で、第二世代の被害者は、2785人です。国家からの手当はいろいろありましたが、被害者は、毎日、病気など苦しいことに直面しています。 皆様のおかげで、きょう、5人の大学生に奨学金を贈る式を行うことができました。この5人とも、枯れ葉剤被害者の子供たちです。この5人への奨学金の他に、3世帯に豚の支援をして下さいました。ありがとうございました。心より御礼を申し上げます。枯れ葉剤被害者協会が皆様のお手伝いをさせて頂いたことを大変嬉しく思っています。皆様のご健康とお幸せをお祈り致します」(拍手)
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このあとニエム会長の挨拶がありました。要旨は支援の旅(50)に掲載しました。
ここで、奨学生との懇談会に入りました。
北村から話したことを要旨で載せます。
今日皆さんにさし上げたお金は、ここに座っている人たち同じような庶民の方からのお金です。日本政府のお金でもありません。日本企業のお金でもありません。それを忘れないで下さい。国連憲章も「われら人民は・・」で始まっています。
証書には8月10日と書かれています。枯れ葉剤が初めて撒かれた1961年8月10日の原点の日を記入してあります。日本では、1945年8月6日と8月9日に原爆が落とされました。ベトナムの8月10日は、それと同じような日です。
皆さんは、オリンピックのメダルをご存知ですね。メダルを受賞したら、「メダルを四等分しなさい」とよく言われます。メダルが取れたのは、まず両親がいたからであり、次に選手自身の努力の賜。また幼いころから指導してくれた人たち、直接は面識がなくともテレビや新聞を見て「頑張れ!」と応援してくれた人の支えがあったればこそと。
 今日の奨学金も、お金を四等分して考え下さい、ということです。●1皆さんを育ててくれたご両親に感謝。●2皆さんを指導してくれた学校先生に感謝。●3皆さんを選んでくれたVAVAのニエム会長他皆さんに感謝。●4そして、お金を出してくれた日本の無名の庶民に感謝です。
 皆さんは、自分一人で生きていると思っていても、必ず周囲の支えがあるもの。そこに気づけるかどうか。感謝は「決意」に変わり、行動の力となります。応援してくれた人への恩に報いようとする時、自分でも思いもよらぬ力が出るのです。
 ここで、奨学金の封筒の中に入れた折り紙の説明をした。東京の80歳のおばちゃんが折ってくれた鉛筆の入った折り紙です。大切にしてください。
 奨学生一人ひとりに贈呈する写真の説明をしました。

 タインさんと旧559部隊所属の元女性兵士マイ・ティ・トーさんの話もしました。支援の旅(50)に掲載しましたので、御覧ください。
ここで質問を受けました。

一人の女子学生さんが立ち、「質問はありませんが、皆様にほんとうにありがとうと申し上げたいです。今のお話しで、日本についても、少し学ぶことができました」と、発言しました。

「日本に留学するのは、むずかしいですか?」という質問がきました。
富田さんが「静岡にことば学院というのがあります。(学校法人国際ことば学院本部. 〒422-8062 静岡県静岡市駿河区稲川3-9-4. TEL054-270-7091)ハノイの桜学院を通してここにたくさんベトナムの人が来て勉強しています。」と、説明がありましたが、日本留学中で、私たちに同行していくれたタインさんの息子さんのスン君に、日本の状況など(ベトナム人から見れば住宅は高い、学費も高い・・・など)と現状を説明してもらいました。

そのあと、私たちから質問しました。将来何になりたいか?

ダット君「会社員です。今簿記の勉強をしているので、将来は、会計士として勉強を活かせる会社に勤めたいです」

リン君「私は絵を勉強しています。アーティストを目指します。そして、自分のギャラリーをもちたいです。私の親は、絵の先生になることを願っています。ヴァン・ゴッホの画が好きです」

トゥーハーさん「医者になりたいです。産婦人科です。名古先生に指導を受けたほうがいいですよ」

ヒエンさん「会計士を目指しています。その他に、服を作って売る店も持ちたいです。」「どちらが好きなんですか?」「両方共好きです。主には会計士が好きですが、服も作って収入を稼ぎたいです」

ハインさん「銀行に関して専門的に勉強をしているので、将来銀行で働きたいです。給料のいいところへ勤めて、一部は母への恩返し、一部は気の毒な人を助けるため。一部は,夢見る日本へ旅行をしてみたい・・ためです」

「ぜひ日本にきてください。日本にいって、静岡の富田、名古、新谷、宮尾といえば、大丈夫ですから。名前をメモしておいてください。」

1年に2回私たちに生活の報告をしてください。11月と5月。お願いします。ということで、懇談会は終わり、再会を約してさよならしました。

最後にノートを贈呈しました。(つづく)

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