2010-09-28

支援の旅(31)奨学生との懇談会

8月17日:奨学金贈呈後の懇談会
この懇談会で、話したことを箇条書きにします。

奨学金を大事に使ってください。これは、日本政府のお金ではありません。日本企業のお金でもありません。日本の名もない庶民が、皆さんのために下さったお金です。
私たちは、クアンガイの若い皆さんに、日本の庶民の皆さんが託してくれたお金を使っていただくことに無上の喜びを感じます。
アメリカの民衆詩人ホイットマンは謳いました。
 「世の中のすべては、庶民から生まれる。平凡な庶民から生まれるのだ」と。
奨学証書の裏に訳されているベトナム語は、静岡在住のブイ・チョン・ホン・クエさんが、奉仕の精神で訳してくれました。
奨学金の封筒の中に、折り紙が入っています。紙を折って鉛筆を作って下さった方は、東京の80歳になる平田由美子さんという元気なおばさんです。
皆さんの証書には、お渡した日を8月10日と書いてあります。それは・・・1961年8月10日、コン・トゥム省のダク・トで試験的に撒いた日です(そのことは全奨学生が知っていました)。来年で枯れ葉剤を撒いてから50年になります。ベトナム国民のみならず、アメリカ、オーストラリア、NZ、カナダ、タイの旧兵士たちが苦しみ始めた淵源の日です。

「最も欠かすことのできない国家の歴史的資産」とは、一体何か。 それは「人材」です。皆さんが重要な人材に育つことです。

教育の目的は何か。その一つは、一人一人が自己の可能性を発揮し、幸福な人生を築くための「人間力」を培うことにあります。知識や学力は当然、大切です。しかし、それだけでは社会の荒波は越えられません。

苦難に直面した時、「だけど、私は負けない!」と立ち返る原点があるかどうか。 「困難がないことが幸福なのではない。困難に打ち勝つ中に幸福があるのだ」と。

写真を8枚配りました。①宇宙から見た地球の美しい写真。②富士山の写真3枚 ③今年初めて東京の4年制大学の入学者を出した北海道天売島の写真 ④ベトナムの蓮の花の写真 ⑤ピラミッドの写真 ⑥16歳で世界1周無寄港単独航海を果たしたオーストラアのジェシカ・ワトソンさんの写真
全てについて説明しました。(地球の写真は、ベトナムと日本とオーストラリアに雲がかかっていなくて、分かりやすい写真だっと思います。)

約束をしてください。封筒2通差し上げます。切手が貼ってあります。年に2回必ず手紙を下さい。これが皆さんの唯一の義務です。(奨学生全員で合議の末、2月と6月ということになりました)

宮尾会長からは、封筒にも差出人の名前を書いてほしい旨、お願いをしました。
ここで、奨学生に一つ質問しました。「尊敬している人はだれですか?」と。以下は、その答えです。

チ君:尊敬しているのは、私の兄です。家族がとても貧しい時に、兄は猛勉強して大学受験して合格しました。兄が大学に受かってからは、家は仕送りができませんでした。毎日の食事は、ご飯と野菜とヌックマム(魚醤油)だけでした。他のおかずは全然ありませんでした。だから仕送り等とても出来ませんでした。兄はアルバイトして、シクロの運転手とレストランで皿洗いをし、自分で生活費と学費を稼ぎ出しました。大学を卒業して、結婚して、今は幸せに生活しています。だから、兄を尊敬しています。

 ニュンさん:私が尊敬する人は母です。大変苦しい生活をしてきましたが、毎日一所懸命奮闘して、家族を支えてくれています。2人兄弟ですが、生活が大変にもかかわらず,高校に行かせてもらっています。母は体も弱いんですが、毎日ほんとうに頑張ってくれています。

ニャット君:私が尊敬する人は父です。父は障害を持っています。それにもめげず家族を支えて頑張っています。

アイン・ガンさん:私の尊敬する人は父です。父は戦争で障害者になりました。それでも、頑張って家族を支えてくれています。

トー・クエンさん:私は母を尊敬しています。小さい時から私の父はいなくて、私が小さい時からは、母は私の兄弟も一所懸命育ててくれました。

キエウ・ホアインさん:私はホーチミンさんを尊敬します。ホーおじさんは、いい生活をおくれたのに、自分の生活を犠牲にし、命をかけて人々のために働きました。

キエット君:私は父と母を尊敬しています。私が生まれてから、ずっと家がなくて、母の実家によせてもらっていたそうです。私は2人兄弟で二人共障害をもっているんですが、両親は一所懸命働いて、私たちに学校に行かせています。

キム・チュンさん:私も父と母を尊敬しています。戦争で被害を受けて、父も母も障害者になりました。そして、枯れ葉剤の被害を私たち兄弟も受けています。そういう中で、私たちこどものために、ほんとうによく面倒をみてくれています。
 ズン君:私は、母を尊敬しています。私が3歳の時に父は亡くなりました。母は、一所懸命育ててくれました。
「皆さんの一言一言で、ご家庭の様子が分かってきて、より皆さんに近づけたと思います。来年もお会いできると思いますが、来年はこのメンバーで1曲歌を歌ってくれますか?共通に歌える歌あるでしょう?」と私が言いましたら、キエット君がいきなり音頭をとって全員で歌を歌ってくれました。その時の写真がこれです。宴会だと思わないでくださいね。曲名をメモするのを忘れてどうしても思い出せません。戦争が終わって、皆家族が再会出来て嬉しかったという歌です。

質問がありませんかと聞きましたら、ここで、奨学金受領者の一人グエン・タイン・チ君から、次のような話しがありました。

「皆さんと、本日お会いできてとても嬉しかったです。でも、昨年お会いした方で、今年来られなかった方がいらっしゃいます。お元気でしょうか?いつか、お会いしたいです。ぜひ、よろしくお伝え下さい。」と。
「感動しました。皆さん、ありがとうございました。今年来られなかった方も元気です。日本にもどりましたら、チ君のお気持ちを伝えます」と、私はお礼を言いました。

続いて、通訳のザンさんのすばらしい通訳に拍手をと、全出席者にいいましたら、力強い拍手を頂きました。
懇談会の最後に、闘病中、病院から駆けつけて下さったホー・クイ・カイ会長に、日本人全員で色紙にサインし、病気克服と早期のご回復を祈って、直接お渡ししました。
そして・・・海苔巻き講習会に移りました。(つづく)Posted by Picasa

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