2010-07-06

トー・クエンさんを訪ねて

今日のブログでは、昨年の12月24日に掲載したクアンガイ省のトー・クエンさんのお話をしたいと思います。そのために、12月に掲載したトー・クエンさんの手紙を再度掲載します。
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おじさま、おばさま お元気ですか?

  皆様の健康を何時も祈っています。会の皆様はじめベトナムを愛してくれている日本人に感謝しています。特に三田村さんには、感謝しています。

  悩んだ末に手紙を書くことにしました。私は一年間休学する事を決めた事に対して申し訳なく思っています。一年間休学して、働かなくてはならなくなりました。その仕事は、人の家で家事の手伝いをする仕事です。 毎月の給料は50万ドンです。

  私の家族は経済的にとても苦しいのです。父親は私が生まれて一ヶ月で家を出て行って以来、家に戻って来ていません。母親は枯れ葉剤の影響で足を失くしました。私には高校へ通っている兄がいます。家族は私を学校へ通わせる情況ではないのです。

  会から頂いたお金はとっても有難いと思っていますが、学校へ通い続けるには、それでは足りません。そのために、一年間休学する事にしました。

この手紙が皆様の所へ届いた頃には多分、私はクアンガイを離れているでしょう。

遠くまで行って仕事をしなければなりません。

より明るい将来の為に真面目に勉強をして働く事をお約束いたします。

最後にもう一度、静岡の皆様に心から感謝の気持ちをお伝えします。

私のように困っている大勢の子供達を助けて頂く事を願っています。

近いうちにまたお会いする事を願っています。かしこ

里帰りしたクエンさん(右)
この手紙を受け取った宮尾会長も、私も心配した。ほんとうに、学業は復帰できるのか。月々50万ドン(日本円2300円。7月6日現在で1円が217ベトナムドン)が、どうにかならなかったのか。いや、どうにかならなかったから、彼女が自ら働きに出たのだ。
この手紙に示されたことは、勉学を中断しなくてはならないことを正直に述べたこと。そして、勉学継続の意志を明確にしてあったこと、だ。
とにかく、クアンガイまでいくなら、さほど遠くなさそうなので、自宅訪問をしようと、現地の協会を通じてお願いをしておいた。
三田村さんから証書を受け取るクエンさん
省都クアンガイの町をはずれ、人家がまばらになったところで、道は拡幅工事のために、相当な悪路になった。発展するベトナムの見慣れた風景ではある。私たちのヴァンはさほど大きくないないのだが、工事のため電線が垂れ下がり、行く手を阻まれた。同行の外務省氏が枯れ枝をみつけてきて、電線を持ち上げてくれた。それでも、その先は車が通れる路面ではなかった。後は歩きだ。ベトナム語で、「歩き」は「ディボ」という。「ガー・デイボ」と誰かがいうと、皆から笑いがこぼれた。
ガー・ディボとは、歩く鶏のこと。ブロイラーの鶏ではないから、食べると美味しい。へんじて、みっちり歩かされるよ・・という意味だ。

掘り返した道路工事のはずれのはずれに、トー・クエンさんの家があった。
家は、枯れ葉剤被害者協会の支援なのだろうか、小さい家だが新築の感じだった。中は、家具もほとんどなく、がらんどうだった。
待ってましたという勢いで、クエンさんが出てきた。お母さんもいらした。

「ごめんなさい、いま停電で」と、クエンさん。この暑い時に、停電はつらかろう。
今年は、100年ぶりという異常渇水で、どこへ行こうが、計画停電が待ち受けていた。
私が、ハノイに住んでいたいた時など、異常渇水でなくても24時間停電、48時間停電などあったので、6~7時間は驚かない。8月の支援隊ツアーも、この延長だろうかと、不安がよぎった。

奨学金授与時のクエンさんと家内
クエンさんは、元気だった。それは、うれしいことだった。この前日の深夜に、私たちに間に合わせるように、帰ってきてくれたのだ。女中奉公(放送禁止用語に近いが)にでた先は、理解のある家のように思えた。今回の里帰りで、交通費も出してくれたらしい。そして、もっとうれしかったのは、学校には通えないが、近くの塾での勉強は認めてくれいるという。だから、3科目を、その塾で勉強して学業を最低限続けているのだという。立派な勤労学生ではないか。
彼女は、私の家内と一緒に写真を撮ったことを覚えていてくれた。真っ先に、「奥さんはお元気ですか」と聞かれて、胸を打たれた。そして、横に座って、内輪で風を起こしていくれているのだ。
私は、彼女の内輪をとって、風を送ってあげた。

なぜ、彼女を家内と一緒に写真を撮ったか? 6人の奨学金受領者の中で、一番寂しそうな印象を受けたからだ。少しでも連帯意識をもってもらおうと、家内と一緒に並んでもらった。

大変ななか、なんとしてでも卒業してくれればうれしいし、奨学金の役目もそこに見いだせる。だが、卒業だけにとらわれる必要はないのではないか、と私は思う。肩書きだけの高卒 大卒は意味が無い。
大事なことは、奉公という大変な仕事の中ですら、書を開き、前に向かい、光を求めて向上のための努力を惜しまない人に、いずれ幸が輝く日がくるということを忘れないでもらいたい。まして、父親に捨てられた彼女が、まっすぐに育っていることだけでも、お母さんにとって大変な財産だ。
宮尾会長と私は、相談して、塾の費用の一部を、支援隊でお預りしている沼津西ロータリークラブの資金から補助してあげることにした。そこには、クアンガイ省枯れ葉剤協会の方も立ちあって頂いた。そばに付きそうお母さんも喜んで下さった。
沼津西ロータリークラブさんも理解してくださると思う。

彼女は、私たちを見送った後、午後には、また長駆、バスで奉公先に戻るという。たった一日のお休みを、遠路戻ってきてくれたことに感謝をし、再会を約束した。まず一人の奨学生と、絆は太くなったと思う。そうして、健康を大事に、少しでも勉強を継続してくれればと、握手した手に力が入った。Posted by Picasa

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