2010-04-21

トリビューン紙パート5(下・完)

前回に続いて、パート5の(下)です。
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トリビューン紙からの質問に、ダウ社は、1964年までは財産権のある技術情報を購入したことはなく、1965年までそれを使っていなかったと答えた。種々の記録は、同社が、アメリカ軍が1967年に除草剤を作る軍独自の化学プラントの建設を計画し始めるまで、他の企業又は政府に、技術情報を知らせなかったことを示している。
その頃には、ダウ社も2,4,5-Tのダイオキシンレベルをテストするための手順を開発していた。同社は、「1965年に他社にその技術を提供したが、1967年まではアメリカ軍にその技術を提供していなかった」と述べた。

それより以前の1963年4月に、2,4-Dと2,4,5-Tの健康有害情報について、「一般情報」を出すために、20人以上の軍当局者と化学産業界の科学者が会合を開いた。会議の議事録によれば、ヴェトナムでの化学物質使用に関して懸念を表明した者はいなかった。

例えヴェトナムで使用される化学物質の仕様が高濃度に濃縮され、より多くのダイオキシンを含有していたとしても、証拠は主として、1947年以降3億ガロン以上の化合物が国内で使用されたという事実に基づいたのである。

「委員会は、これらの化学物質が、前述の演習で使用された量と方法で、人体や動物の健康に有害なものは含まれないか、含まれていなかったと結論づけた」と、議事録にはなっている。

それにもかかわらず、ダウ社は、アメリカ軍と健康問題に関する情報を共有していたとトリビューン紙に語った。「事実、ダウを初め化学会社は、1949年という早い時期から、1960年代に至るまで、生産労働者の塩素ざ瘡の潜在的危険に関して、アメリカ政府と対話を重ねていた」と、ダウ社広報担当のピーター・ポール・ファン・デ・ウィジス氏が書面で答えた。

1965年に、枯れ葉剤生産に関与していた一連の化学会社は、ミシガン州ミッドランドのダウ本社で会合し、消費者に対する汚染物質の脅威を議論している。

「この物質(ダイオキシン)は、別格の有毒物質だ;それには、塩素ざ瘡と全身性障害をもたらす相当の潜在性を有している」と、1965年6月24日に他社宛の書簡に書いたのは、ダウ社の首席毒物学者のV.K.ロー氏だった。

しかし、訴訟の宣誓証言によれば、いずれの会社も、1967年後半までは、安全懸念のある枯れ葉剤契約の監督責任のある軍当局者には知らせていなかった。

複数の会社の内部文書は、彼らは法規の厳格化という亡霊を恐れていたことを示している。

アメリカ国立衛生研究所の研究で、2,4,5-Tが動物実験で先天性欠損症を引き起すと分かった後になって初めて、1970年に、アメリカ軍は,エージェント・オレンジの使用を停止したのだ。
アメリカのヴェトナム退役軍人会でエージェント・オレンジ委員会議長を務めるアランオーツ氏は、「退役軍人には1984年の和解以来、補償を求める法的闘争にほとんど幸運はなかった」と言った。

退役軍人グループは、すべての和解金が底をつく前に疾病が発症しなかった何千という人々には、和解は早すぎたので、あの和解は不十分だったと法廷で主張したが、これは成功しなかった。

オーツ氏は言う。「未解決の問題が1つある。ベトナム退役軍人の子供たちの中に認められる先天性欠損症関連の保健医療費に対して、化学会社に責任ありとみなすことができるかどうかだ。そのことが、将来の世代に影響があるということを示し始めている今、それらの人々にとって、遡求権とは一体何なのか?と言いたい」(完)

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連載の翻訳を終えるにあたって、一言書きます。

ご一読戴いたように、アメリカの化学会社は、毒性を減らすために、データに基づいた行動はとっていなかったということです。国家、企業といっても、その基本は人間です。人間の行動を決めるのは、思想です。企業が,何を規範とし、何を求めて社会貢献していくのか。あるいは社会貢献しないのか。それによって、当然、企業の姿は大きく異なってきます。

ただ、がむしゃらに利潤をあげるだけなら、それほど難しいことではないでしょう。しかし、これでは、企業としての品格はありません。志を高く掲げ、遠くまで保っていくのか。 卓越したものを追求していく企業なのか。 真実を求めたら、それを実践する強い意志があるのか。

いかなる企業といえども、人の幸福に結びつくものでなくてはなりません。ドイツの化学会社が生産を一時中止したのも、ある規範が底で働いたからでしょう。自社の従業員だけでなく、他国の一般市民もないがしろにしたまま、利潤を上げ続けた企業に、社会的責任が無いはずがありません。まして、化学兵器禁止の中で戦争を遂行したなら、時の政府も。

この5回に及ぶシカゴ・トリビューン紙の連載は、かつてないほどの力作でした。訳しながら、感動を覚えたものです。隠れた真実を掘り起こす。まさにジャーナリストの使命を発揮したと言えます。その力作に応える訳ではありませんが、未知の事実に光を照射し、何がしかのアピールができたなら、幸甚この上ない気持ちです。(記:北村)Posted by Picasa

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