2009-10-06

支援隊ツアー09(41) 旧米軍チューライ基地

8月20日、クアンガイ省での全行事を終えた私たちは、一路ホイアンのホテルを目指しました。ホテルを出たのが1時過ぎ。ホイアンに4時半着をめざしましたが、ぎりぎりのようです。
途中、チューライの元アメリカ軍基地前で、小休止しました。

チューライ基地のことは、小生もそれほど詳しくはありません。ちょっとだけ、書きます。チューライは、Chu Laiと書きます。位置は、北緯15度24分、東経108度42分となっています。
チューライの意味は、”大型船の港”という意味です。大昔、大越国時代の重要な海軍港だったからです。(1009年、李公蘊によって李朝大越国が建てられ、ベトナムにおける長期的な統一政権が成立した。都はハノイに定められた)
旧チューライ基地前で

チューライ基地は、ヅン・クアット湾に面したアメリカ海兵隊の基地でした。ここがアメリカ軍基地として使われたのは、1965年から1971年までです。ダナン空港がそばにありながら、ここの基地には滑走路がありました。今は、滑走路と戦闘機の防護用のコンクリート壁だけが残っていて、アメリカ軍が駐屯していたことを物語るものは、何も残っていないようです。

ベトナム戦争中に、アメリカ軍が初めて大型基地を使用したのが、ダナン基地です。1965年に、通常地上軍が到着し始めると、第2空港を開く必要性が出てきました。交通量の多いダナンだけでは間に合わず、物資支援の補完空港が必要でした。

チューライ基地は、公式には1965年6月1日から運用を開始しました。この日に、スカイホークが飛来したのです。

1965年8月18日のスターライト作戦も、この基地がからんでいます。この作戦は、解放戦線がチューライ基地を攻撃するのを察知したアメリカ軍が、先制攻撃をかけたものです。アメリカ軍の死者は45名 解放戦線側は600人とされていますが、まあ、大本営発表ですからねぇ。味方の損失は少なく、敵は多く・・。

1965年の10月半ばごろには、スカイホークが80機が駐屯し、1966年9月から1970年の9月まで、海兵隊航空隊の基地ともなり、4機のF4ファントムも参加しました。

旧基地のほとんどが砂丘です
海兵隊は、1970年9月にチューライから撤収しましたが、その後はアメリカ陸軍が管理権を引き継ぎました。

そして、このチューライ基地は、1967年から1971年まで、アメリカル師団の本部でもありました。トゥイーチャム医師の射殺(1970年6月22日)、ソンミーの虐殺(1968年3月16日)、皆アメリカル師団が関与しています。
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