2008-09-13

北村修治さん 孫への手紙(2-3)

おじいさんの車には、「60年間一人も殺さず、殺されず。日本国憲法第9条のおかげです」と、書いた紙が貼ってあります。他人様(ひとさま)がみればバカなことをしていると思うかも知れません。皆さんが大人になった時どのように評価するのでしょう。

このベトナムに来て『60年間・・・』というのは、すごい言葉、自分のやっていることの正しさ、大切さを実感しています。こういうのを手前味噌というのでしょうか。

でも考えてみてください。同じ軍隊を持ちアメリカと仲良くしながら、韓国はアメリカと一緒にベトナムを攻撃したのに、にほんはそうならなかった。それはなぜか。まさに『日本国憲法9条のおかげです』ということになりはしないでしょうか。憲法9条がなかったら、日本の自衛隊は韓国やニュージーランドと一緒にアメリカのベトナム攻撃に参加し、日本の中にも枯れ葉剤の被害者が出たはずです。

あの時代『アメリカはベトナムから手を引け』と書いたゼッケンを胸に8年間も街を歩いた人がいます。たしか、金子さんといったと思います。この人とくらべたら、おじいさんのしていることは思いつきですから、たいしたことはありませんが、何もしないよりましだと思っています。

べ平連機関紙創刊号
ベトナムに来て田中正造悪魔を退治しないでのさばらせておくなら、自分も悪魔と同じだ」という言葉を思い出しています。田中正造は、行動を起こせと言っているのだと思います。

人間一人のやることなんかたかがしれています。でも、勉強し、何が正義で何が悪魔かを見極め、一人でもいい、小さいことでもいい、自分の出来る範囲でいい、行動する人になってください。
田中正造
おじいさんは、7月19日、72歳になりました。あの日、食事会をしてお寿司を作りました。あのころから、朝起きても疲れが残っていて、このベトナムの旅もずっと迷っていました。来年のことはわかりませんが、できたらあなたちと一緒に来たいと思っています。

贈呈の車椅子に試乗する北村修治さん(ニンビン省)
ヒロシマナガサキ水俣足尾、その現場に実際にたってほしいと思います。外国ならベトナムです。ダイオキシンの被害は過去の話ではなく、未だに進行中なのです。

この手紙より先に日本に戻れますように。皆さん、お元気で。(終わり)
                          
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ハノイを離陸してすぐ、北村修治さんから頂いた孫への手紙のコピーを読み始めました。私が思うことのほとんどが、ここに入っていました。             
                                                       
読み進むうちに、涙が伝い落ちました。孫を思う強い気持ち。現場に立つことの大切さ、田中正造を引き合いに出して「悪を斬る」ことの重要さを優しい言葉で訴える北村修治さん。            
                          
孫とハノイへの夢を抱くおじいさん。そこには多くの人が見落としている大切なものを拾って歩こうという、孫との一種の共戦譜が描かれているように思えました。      
            
化学戦争という観点からみたら、ベトナムほどデータの揃っている戦場はありません。それは断言致します。その戦場を現場と言わずして何というのでしょうか。       
                                  
北村修治さんとの語らいは楽しい物でした。平和への示唆に富んだ語らいであり、真剣で、真面目で、大きな共鳴箱のなかで共鳴する心地よい響きでした。        
                                 
ご高齢ではあるが、大変お元気でした。今回の支援旅にご参加下さり、10日間を同行させていただいたことに、ひたすらの感謝を申しあげる次第です。         
                                    
どうか、今後ともお元気で。(北村元 記)Posted by Picasa

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