2008-07-30

戦争で破滅した人生(下)

もう一つの側面は、ベトナム人に関連したものだ。オーストラリア人は、ベトナム語を話さない。オーストラリア人の周辺で何が起きているのかわからなかった。オーストラリア人は、アメリカ人同様に、完全な人道主義的使命を果たしていると思われた。しかし、自分たちが助けてあげていると思われていたまさにそういう人々が、実は敵と通じ合っていたのではないかという疑問だ。

「われわれは地元のベトナム人を軽蔑していた。大嫌いだった。人々の支持を得ようなどという戯言はクソ食らえだ。どのベトナム人もベトコン・シンパであったり、スリを働いたり、娘や妻に売春させる下劣な奴らと思っていた。一部の共産主義の脅威から、地元の人や南ベトナム人を守るという~こんなことは滅多に口に出すことはなかったが~漠然とした考えは吹っ飛んでしまった。この地方の住民から明らかに人間性を奪うのも、その場所で、だった。

アメリカとその同盟軍の火力で致命的な攻撃を与えても、敵は反撃を続けた。どんなに爆弾、ジェット機、砲弾、或いは嫌がらせを注ぎ込んでも、彼らが阻止されているようにはみえなかった。彼らの供給網と支援網は、例えわれわれが破壊しようとしても、機能していたようにみえた」と、ハードは言った。

敵の復元力の一部は、南ベトナムの端から端までいた革命軍シンパの支援にあった、彼は見る。
敵の反撃でハードが仲間を失うと、バードが受けた影響は消すことの出来ないほど大きなものだ。ハードの戦友の一人が重傷を負った。バードは彼に言った。何もないから、救出の順番を待たなくてはならないと。重傷の戦友は答えた。「俺もいくよ。君」と。ハードが彼の所に戻ってきた時は、彼は息絶えていた。
戦友から頭を刈ってもらうハードさん
ハードにとどめを刺したのは、バララット作戦だった。1967年8月6日の激戦だ。彼のA中隊6人が死亡し、16人が負傷した時だった。敵はあちこちで小さな勝利をしてきたかもしれないが、自分の隊は無敵だという考えは崩壊した。

「こんなに正確に砲撃してこなければ、われわれはどこにいたろうかなんて考えたくもなかった。ベトコンが持っていないものは、大砲だった。そうだ、われわれには、大砲、ジェット機、戦車、B52等がある。ベトコンは、自分たちの体がすべてだ。・・なのに、彼らはわれわれをやっつける・・・・」

ベトナムにいるアメリカ同盟軍への究極的なとどめは、やがて来るテト攻勢だった。1968年1月30日~31日にかけてテト攻勢が起きた時、それはアメリカ国民のモラルを破壊した。その時から、アメリカは出撃はするが、屈辱的な敗北が表面化するのを避けるのに執着した。

その頃には、バードは本国に帰還していたが、トラウマと記憶を葬り去ることに苦しみ、うまくいかなかった。定職にも就けず、30年後の1997年には、精神科の病院の世話になった。

戦後、彼は結婚し、3人の子どもをもうけた。そして自身はリハビリに専念した。ジョギングで体を鍛え、勤勉に働き、写真、教育、デザイン、技術など多くの勉学のためのコースも受けた。

しかし、“ベトナム”が肉体から離れていくことはなかった。股間に出てきた発疹も、おそらくエージェント・オレンジのせいだった。他の戦友たちは、自殺の縁に立つなどもっと悶々とした日々を過ごしていた。ベトナムで彼の部下となっていた人たちの話を聞いた。

その頃には、軍の戦略計画は変わっていた。自分の連隊はいつもゲリラとしてジャングルの中で戦争していた。その後は、ヴン・タウの基地内でより時間を過ごすことが多くなった。そして、もっと休暇も寛大に取れるようになった。それは、おそらく長期戦に備えて死傷者を最小限にしながら、アメリカの同盟国を支えていくという軍部の作戦だった。

「我々の大隊は常に打ち負かされて、無理強いをさせられているという見解だった」と、彼は言った。

今日、バードは復員兵の仲間に会う。そのうちの20人は、ヴィクトリア州ベアンズデールでの月例会に出席している。彼は、大隊長に軍の義兄弟として再会した。彼は、ベトナムでかつての大隊長に対して「くたばれ、この野郎」と罵声を浴びせかけたために、抗命罪に問われた。

精神科の病院にいる間に、彼は、ヴィクトリアの田舎にいた青年時代のことを短編に書いた。それを復員兵のエッセー・コンテストに応募した。結果は、5回連続で1等賞を獲得した。それらの話を、彼は自分の本に収めた。

「ベトナムに関する私の本を、全国の30から40の学校で取り上げてくれた。学校での講演も頼まれた。子どもたちは、あそこで何がおきていたか、全く知らされていない。子どもたちから800通の手紙をもらった。オーストラリア人が兵士たちに行った振る舞いを信じられないのだ」と、彼は言った。(
シドニー・モーニング・ヘラルド紙2007年4月14日―15日付けより。著者マルコム・ブラウン氏)(おわり)
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