2007-09-10

最後の日に・・・

とうとうベトナムでお別れの瞬間がきた。枯れ葉剤患者の実態を知りたいと進んで参加された方に、先ず厚く御礼を申し上げたい。参加された方々の胸に、何が一番重く残ったのかは知るよしもない。
食事が喉を通らなかった人もいた。
それぞれの方々に、大なり小なり衝撃を与えたことは間違いない。戦争に一層の怒りを感じた人もいたようだ。

百聞は一見に如かず。田舎の民家にお邪魔させてもらって、自分の目で見たものが真実でる。

だが、そういう感動とか怒りとか衝撃は、自分の中で長続きはしない。それは、日常生活の流れの中に、容易に溶け込んでしまう。過去のツアーに参加した人をみていても、この感情を持続させることはむずかしい。人は、 目の前の生活に押し流されていく。 だが、逆に、植え付けられた種が、消えることもまたない。

敵も味方も選ばずに残酷さを与える戦争を憎み続けることは、容易ではない。 
                      
ひと世代で終わるならまだしも、少なくともベトナムだけでも、これだけの無実の人々が、世代を越えて苦しむ姿は、まさに戦争の異常さである。残酷さである。罪である。

そして、害が出ることを承知していた人々が、撒き続けたことは、戦争犯罪をおいて他にない。 権力の魔性による感覚も麻痺である。
ハノイ市やホーチミン市の町を、買い物をして歩いているだけでは、全くわからない。左のような子どもが、ハノイの町なかを歩くことはないからである。

刺繍の手工芸品を買い、コーヒーを買い、アオザイを着ることのできる私たちは幸せである。私たちは豊になったが、3000円の鮨代を払っても、平和のために100円ですら惜しむ人は多い。

今回のご参加の方の中から、平和実現のために力を貸して頂ける人が登場することを期待したい。
できれば、またいつか戻ってきて頂きたい。

あの暑い中で流した汗が懐かしい、と言って。
障害者と同苦しようでないか。
障害者の苦しみを聞こうではないか。障害者とまた一緒に喜び笑おうではないか。障害者とまたいっしょに車椅子で外に出ようではないか。
いま、ハノイの町では、35年前に戦場で戦死した若き女医の日記が売れている。
その日記を35年間持っていた、ベトナム帰還兵の元アメリカ軍情報士官は、こういっている。

「人を戦場に送るとき、それは真実が基盤になっていなくてはならない。他人の血で自分を肥やすことは間違っている。私は、生え抜きの共和党員だ。しかし、わが大統領はベトナムに行く勇気を持たなかった。彼は親父に頼んでベトナム行きをはずさせたのである。人は戦場に行き、戦友の血を浴びるまで、戦争の下劣さが分からないのだ。」

ブッシュさん。[APEC]を[OPEC]と失言したり、[オーストラリアのイラク駐留を感謝する]と言うべきところを、[オーストリアのイラク駐留を・・・・]と失言したあなた。いさぎよく、過去のアメリカの行為をベトナムの被害者にお詫びし、補償し、平和への基盤を築いたらどうなのだろうか?

ハノイのノイバイ空港でお別れした方々の胸に、平和を求める闘争の灯が煌々とともされ続けることを祈ってやまない。Posted by Picasa

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