2007-09-03

まずは平和村から・・

8月20日(月)午前9:30 平和村(ラン・ホアビン)に到着しました。枯葉剤被害者の第2、第3世代を含めて、170人ほどの子どもたちがいます。いずれも、旧北ベトナム出身の兵士の子どもたちです。初期の20名の頃とは大違いですね。

ここが私の原点です。1990年代初期。まだ日本のテレビ局も慈善団体も入っていない頃。テレビ朝日の取材で訪れました。以後、私は数え切れないほど何回も。ハノイ在住中は、勤務の後、遊びに行ったこともあります。その頃から考えると、日本の人も、ずいぶん平和村を訪れるようになり、先行の役目は十分果たしたと密かに自負しています。

大釜副会長が挨拶でおつきあいの長さを強調し、その中でFAXを初めて寄贈したのも私たち、と。そんなものも平和村に無かった1995年の話です。その時は、大釜さん、櫻井さん、小生の3人でした。

わが支援隊も、今年は、ソプラノ歌手の中村洋子さん(上)の歌で始まりました。中村さんは、べ平連時代にやはり反戦デモに参加されたと話していました。また1円募金にも応じたということです。そういう原点を持った方の訪問は心強いです。 綺麗な歌声が子ども達の心に染み入りました。

【中村洋子さんをちょっとご紹介】長野県諏訪市のご出身です。母校の大先輩で、母の1級上、代用教員時代、叔父の先生であった伊藤千代子を詠んだ恩師の土屋文明の短歌三種を高平つぐゆき氏に作曲依頼。2002年6月、東京の八重洲ホールで「伊藤千代子を歌う三つの歌曲」を初演されています。

3年連続スイス・ジュネーブ各国国連人権委員会関係者・NGOを招待した「ジャパンデー」で披露。千代子墓前・偲ぶ会、「8・15を語る歌人のつどい」、「伊藤千代子没後75周年のつどい」「伊藤千代子生誕100年記念のつどい」、第52回日本母親大会秋田多喜二祭などで演奏活動をされています。

やがて、拍手で呼び出されたガーさが、中村さんの歌に返歌。日本語の歌「ちょうちょ」を見事に歌ってくれました。このガーさんは、色素異常の被害者です。 とても、すばらしい女性です。 もっと色が抜ければ・・といつも思うのです。

そして、わが支援隊で初登場は、沖和子さんちゃんを持っている人)の腹話術。名前は、愛ちゃん。支援隊の名前とぴったんこ一緒。お話をする”愛ちゃん”に、皆は大きな関心を。口の中に手を突っ込む子もいて、ヒヤッ。 喉から手が出るほど・・という表現はありますが、喉に手が届くのでは、浴衣姿の”愛ちゃん”もびっくりしたでしょう。

協力してくれた子どもたち全員に風船を。なかなか膨らまない伊藤啓太君(高三)の風船。啓太君は、この平和村が誕生する前くらいに生まれた世代です。 子ども達は、大いに楽しんでくれました。

新谷文子さん恒例の”音楽療法”が始まりました。45分のぶっ通しでも、皆元気。ピオニールの赤いスカーフをしている少年もいます。太鼓を叩くのが好きな女の子は、太鼓を放しません。普段まとまって長い時間動くことのない子ども達。やはり、楽しそうでした。   
途中から静岡の”ウォータービジョン”のツアーの方々も会場に。大釜副会長が声を掛けてくれて、数人が輪の中に入ってくださいました。ありがとうございました。
   
一人の笑顔は、多くの歓喜の波動を生みます。今年も、その波動を幾重にも広げて前進したような気がします。             
衣類の寄贈(櫻井副会長と宮尾事務局長から大きな袋で一袋ずつ)の後、MIPスポーツ・プロジェクト様からの新品のスポーツTシャツを子ども達に贈呈しました。(これは別途御報告します) 
   
ハー先生と懇談しました。ここの職業訓練で、地元プロバイダーのfptに就職した子もいるそうです。自立に向けた子ども達の能力開発は大事です。子どもたちの発達を祈りながら、平和村を後にしました。気持ちよい汗をかきました。     
      
人と会い、友の悩みに同苦し、友と喜び合う姿。このはつらつとした行動を、今後とも大切にしていきたいと思いました。(了)Posted by Picasa

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