2007-09-03

友好村に植樹を!

昼食をとったレストランは、なんとなんと!よりにも選って停電。なにも今日じゃなくていいだろうに・・。ベトナム語で、停電はマッディエンといいます。誰かが亡くなった場合にも、「彼はマッディエン」と俗語でいいます。それはいいとして、自家発電も及びません。汗をかいたままの流れで、友好村に向かいました。

ノーベル平和賞のワンガリ・マータイさの3000万本にははるか及びませんが、今回、私たち農耕民族は、皆で、8本の木を、友好村に植えさせてもらいました。構内にある学校の前に木陰ができればいいなあ・・という気持ちと、少しでも子ども達に果物をというのが、愛のベトナムさわやか支援隊の思いです。数年前に植えたマンゴーの木が、どうも手入れ不足で、実が採れた形跡がありません。悲しいことです。

今回の8本とは、バン・ランという紫の花を付ける木。綺麗です。サウという木。マンゴーの木です。

上の写真:泉先生。丸山さん。鍬をもつ角倉さん中村さの姿が見えます。

現在、国連環境計画(UNEP)が、ノーベル平和賞受賞者であるワンガリ・マータイ女史と連携して、2007年末までに、世界中で10億本の植樹を行うキャンペーンを行っています。別にそれに会わせたわけでも、参加したわけでもないですが、夏が長いハノイの地に、すこしでも木陰のプレゼントを考えたものです。

上は、北村さん。河口さん。沖さん。小野里さん。鈴木さん。石井さん。

上の写真は、現在の559部隊?左から啓太君。中村さん。北村さん。ノンをかぶっている人は友好村の職員。角倉さん。小野里さん。石井さん。理会子ちゃん。
締めは、職員の水まきです。さすが風情があっていいですね。私などがやれば、ここまで運んでくるまでに水が無くなります。    
ベトナム戦争の枯葉剤の影響で、ベトナム全土では、まだまだ森林の被覆率が低いです。中部以南の洪水も、それとの関連があります。
2007年8月9日の長崎原爆忌 平和宣言は、 「この子供たちに何の罪があるのでしょうか」で始まりました。そして・・・。

 原子爆弾の炎で黒焦げになった少年の写真を掲げ、12年前、就任まもない伊藤一長前長崎市長は、国際司法裁判所で訴えました。本年4月、その伊藤前市長が暴漢の凶弾にたおれました。「核兵器と人類は共存できない」と、被爆者とともに訴えてきた前市長の核兵器廃絶の願いを、私たちは受け継いでいきます。
 爆心地に近い山王神社では、2本のクスノキが緑の枝葉を大きく空にひろげています。62年前、この2本の木も黒焦げの無残な姿を原子野にさらしていました。それでもクスノキはよみがえりました。被爆2世となるその苗は、平和を願う子供たちの手で配られ、今、全国の学校やまちで、すくすくと育っています。
という宣言文が続きました。
大地には、さまざまな草木があります。「三草二木の譬え」の如く、同じ雨を吸収しても、個性に応じて枝を広げ、多彩な花を咲かせる草木。同じ雨は平等に大地を潤しますが、その雨を受ける草木は、上中下の草(三草)や、大小の樹木(二木)などさまざまであり、その種類に従って生長していきます。
大地に根を張って、個性豊かに成長してもらいたい・・この木も、そして子どもたちも・・・・・・この日の植樹に、そんな思いを抱きました。Posted by Picasa

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