2006-12-15

補聴器 車椅子のお礼状 その2

今回も、ベトナムから届いたお礼状のご紹介です。

お礼状(3)

日本静岡 愛のベトナムさわやか支援隊の皆様へ

私は、グエン・ヴァン・ハウと申します。
タイビン省タイトゥイ郡トゥイソンに住んでいます。
息子のハインは、枯れ葉剤の影響で、両耳が聞こえなくなりました。いま、枯れ葉剤被害者協会及び日本の静岡の愛のベトナムさわやか支援隊のおかげ、補聴器を頂くことが出来ました。
ハインの耳が聞こえるようになりましたことは、ハインともども私たちは大変うれしく思います。
私たちは、言葉で表せないほどうれしく思っています。大変にありがとうございました。特に静岡の皆さんには、もう一度家族に代わって厚く御礼を申し上げます。
被害者に関心をもって下さっている方々、いつまでもお元気で。
2006年10月6日 トゥイソンにて
グエン・ヴァン・ハウ

お礼状(4)

静岡愛のベトナム支援隊の皆様へ

私は、ブイ・チョン・ホアと申しまして、ブイ・ティ・ジュの父親です。
タイビン省タイトゥイ郡トゥイリエンに住んでおります。
私は、アメリカが行った戦争で枯れ葉剤の影響を受けました。
そのために、子どもも被害を受け、そのせいで小さい頃から両耳が聞こえなくなりました。


このほど、枯れ葉剤被害者支援のキャンペーンにおり、私の子どもにも支援を頂き、静岡の皆さんから補聴器を頂戴し、子どもはたいへん喜んでおります。

補聴器を頂いてから、子どもも私の話が分かるようになりました。また、とても生き生きとしております。私たち家族全員で、喜びを感じております。言葉では表すことができません。ご協力下さった皆様、そして静岡の皆様にありがとうと申し上げます。

(裏面)静岡の皆様と、協力してくださった皆様方がいつまでもお元気でいらっしゃるように。ありがとうございました。

2006年10月14日
ブイ・チョン・ホア

お礼状(5)

タイビン省枯れ葉剤被害者協会さま
静岡愛の支援隊の皆様へ

私は、ハー・ティ・ホアと申します。ダオ・スン・ドアンの妻です。タイビン省タイトゥイ郡タイズオン・ドンティンに在住しています。


夫は、1966年6月に軍に入隊しました。そして、1966年10月から1975年まで、従軍していました。1975年12月15日に、戦場から帰ってきました。

1991年から病気が発症。2003年には全身が不自由になりました。家族では、父親と子どもも犠牲者になりました。そのせいで、家族全体が(経済的に)苦しく、車椅子を買うおカネはありませんでした。ですから、3年間も、夫は動くことができませんでした。

このほど、日本の静岡の皆さんが、私の夫の家まで来てくださり、車椅子を下さいました。私はとてもうれしいです。

静岡の皆様の暖かい心が、私たちの苦しみを減らしてくれました。私はとても感動しました。私は、何より静岡の皆様、及び枯れ葉剤被害者協会、そしてベトナム外務省にありがとうございましたと心から御礼を申し上げます。

もっともっとベトナム政府と関係者が、ボランティアの方々の関心を持って頂きたいと思います。

2006年9月28日
妻 ハー・ティ・ホア


お礼状(6)

Posted by Picasa 静岡の皆さん タイビン省枯れ葉剤被害者協会
 ベトナム外務省へ

 私は、グエン・クアン・メオと申します。タイビン省タイトゥイ郡トゥイズオンに住む者です。

ベトナム戦争の時、私は従軍したために、枯れ葉剤による後遺症で、今私の傷病の度合いは2/4度となっています。

戦争から戻り、結婚して、子どもが生まれました。子どもの名前は、グエン・クアン・ビンと申します。子どもは、父親が受けた枯れ葉剤の後遺症で両足が不自由になりました。

私たちはいろいろなところに行き治療を受けましたが、少しも良くならなくて、すべてが無駄になりました。そのために経済的にすごく苦しんでいます。周りの人々や政府に助けて頂いておりますが、それでも苦しんでおります。

なぜなら、息子のビンが動けないために、私たちは何もかもビンのために世話をしなければならないからです。

今月、2006年8月25日(9月の間違い)は、私たちにとってうれしく、且つ感動の日でした。なぜなら、タイビン省政府や特に静岡の皆さんの関心のおかげで、ビンが車椅子を頂けたからです。

この車椅子のおかげで、久しぶりにビンが動けるになりました。私は、静岡の支援隊の皆さん、そして協力してくださった方々に心から感謝申し上げます。静岡の支援隊のご家族全員がいつまでもお元気で、そして支援活動が順調にいくことを祈っております。

家族に代わって・・グエン・クアン・メオ(写真は、お礼状を下さったメオさん)

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