2006-08-05

枯れ葉剤被害者理解のための本

Posted by Picasa先日、私は、枯れ葉剤被害者協会のダン・ヴー・ヒエップ会長、グエン・チョン・ニャン副会長にお目にかかった。多くの被害者のために大変な決意で戦っておられる方々だ。

ダン・ヴー・ヒエップさんは、ベトナム戦争でアメリカ軍と初めて正規軍同士の戦いの指揮をとった人だ。その戦いを、イア・ドラングの戦いという。この戦いが、長期的な意味で、アメリカ軍のベトナム戦争に大いなる影響を与えた。

私は、人々の体験を通してベトナム戦争を描いてみたいと、いろいろな方に会って話を窺う仕事を長年続けている。今もそうだ。ヒエップさんは、その中のお一人だった。分かりやすく言えば、北ベトナム軍中部方面軍司令官(そういう肩書きはベトナム人民軍にはないのだが)としての苦労や仲間の死を、戦友の詩などを通してお話を聞かせていただいたことが、今も懐かしく耳に残る。

そのヒエップさんが、まさか、枯れ葉剤被害者協会の会長になられるとは、夢にも思っていなかった。あの時(2002年)、お会いしておいてよかった・・と最近いつも思うのである。ヒエップさんは、ベトちゃんドクちゃんが生まれたコントゥム省のサ・タイに陣取って、ベトナム戦争を戦った。「アメリカ軍を押し戻し、南ベトナム軍を追走しながら、ついにニャチャンの海を見た時は、涙がでました。男泣きました。生き残って帰ってきたその命を、枯れ葉剤被害の人たちのために使います」

グエン・チョン・ニャン先生は、博士である。北ベトナム時代、保健相も務められ、国民の健康を預かっていた方である。だから、その後も、ベトナム赤十字の会長も長年歴任されて、国際的にも多くの知己を得ている方である。

クリントン米大統領(当時)の訪越の前に、手紙で直訴もした。拙著(『アメリカの化学戦争犯罪』:梨の木舎刊)を、ことある毎に、訪問者に薦めて下さっている。そして私のような者にも、何らの差別もされずに、いつも気軽に会って下さることに、若輩の私は学ぶこと大なのである。抗仏戦争当時も、痛ましい経験をされて、人の痛みを十分理解出来る人でもある。

ベトナムに今多くいる枯れ葉剤の患者が、最も頼りにしている人たちである。
お二人から、『エージェント・オレンジ被害者のために』という写真集(写真上)を頂戴した。

これは、ベトナムニュース通信社(VNA)が発行した力作である。
11頁。防毒マスクを装備したアメリカ軍の写真が載っている。「なんだ、やはりお前たちは毒性があるのをちゃんと知っていたのか」と、怒りをぶつけたくなる。頁をめくればめくるほど、被害者と家族のうめき声が聞こえてくる。支援の気持ちは強くなる。いや、そうでなければおかしい。 人類の正義に訴える一書である。

今、ベトナムの枯れ葉剤被害者がアメリカ化学企業を相手に起こした法廷闘争の裏方として、被害者を支えながらこのお二人が戦っている。かつて初の正規軍同士の地上戦を戦ったヒエップさんは、「今度は、武器を使わない戦いです。しかも、戦場はアメリカです。楽なはずがありません」と仰る。


 周恩来首相の盟友郭末若先生は、
 「人間として最も悲しむべき事は何か。それは、正義の心が死ぬことである。
 社会として最も悲しむべきことは何か。 それは、正義が滅亡することである」

と、叫ばれた。

 今、世界に本当の正義はあるのか。強い者が勝ち、弱い者が負けていく。
 「この法廷闘争は、世界に正義を求める戦いです。日本に皆さんの応援も頂きたいのです」と、お二人は口を揃えて言う。
 9月に、わが「愛のベトナムさわやか支援隊」との再会を約したが、別れ際、「おカネも必要ですが、日本の皆さんの支援が欲しいです」 この言葉はぐさりときた。
 では、今の日本人の心に正義はあるのか?
 常に、現在から未来へ、今日から明日へと進むお二人の“勝利”を、少しでも側面から支えたい。ご支援頂いた皆さんからお預かりしている浄財の一部を、その時に寄付させて頂こうと思っている。
(北村 元:記)

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