2006-07-05

越枯れ葉剤被害者 集団訴訟に望み託す(上)

(この記事は、2004年8月17日付け公明新聞に掲載した記事に、加筆修正したものです)

枯れ葉剤製造の米化学会社37社を相手取り提訴

アメリカは、ベトナム戦争(ベトナムは抗米救国戦争と呼ぶ)で、原水爆を除く当時の最新鋭の武器を惜しげもなくつぎ込んだ。枯れ葉剤もそのうちの一つである。

当時の南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領(左の写真。コーナーにいる白い背広の人)も、アメリカに枯れ葉剤の散布を強く要請した。勝たんがために。そして、限定的とは言え、1961年に枯れ葉剤散布を許可したのはケネディ大統領(下の写真)だった。

以降、約8千万リットルという途方もない量の枯れ葉剤、特に「エージェント・オレンジ」を高濃度で旧南ベトナムの領土にまき散らした。不幸にして、生成の過程で意図せず誕生した不純物、人工物では地上最強の猛毒TCDDというダイオキシン約370キログラムがその中に含まれていた。アメリカ軍は1971年1月に散布を終了したが、ベトナム戦争のベトナム化政策によって、南ベトナム政府軍はその後も残った枯れ葉剤の散布を継続したという。よって、旧南ベトナムは史上最長の化学戦争の戦場となったのである。

大量破壊兵器であり使用は戦争犯罪
ダイオキシン1ppt(濃度:1兆分の1グラム)でも、遺伝子を壊すことが出来る。計算上では、1グラムで10万人近くの成人が死ぬとも言われている。


では、なぜベトナム国民が、いま生きているのか。それは、一義的にはダイオキシンが雨で大量に流されて行くからであり、また二義的には長い間の半減期で、ダイオキシンの効力も減っていくからだ。

ベトナム戦争にアメリカ兵はのべ250万人が派遣された。ベトナムに2回派遣され、2004年に前立腺ガンの手術をうけたパウェル前国務長官もその中の一人である。原則として一年しか駐屯しないアメリカ兵ですら、公称30万人以上もの被害者が出ている。撒かれた領土に住むしかない当時の南ベトナムの国民や長く駐屯していた北ベトナム兵士のことを考えれば、被害がいかに重いかは簡単に想像がつくであろう。

体脂肪が好きな猛毒ダイオキシンは、人体や動物の体脂肪に入り込み隙を伺ってきた。ベトナムのダイオキシン被害は、20年30年経って、初めて本当の姿を現してきた。これは大量破壊兵器であり、その使用行為は戦争犯罪である。

証拠能力高い資料作成が大きな負担
では、いまなぜ集団訴訟なのか。アメリカの法律には、訴訟期限についての規定が当然ある。ベトナムの場合、戦争終了の1975年4月30日から10年以内となる。ここに特例が適用される。アメリカは、ベトナムに対して長い間課していた経済制裁を、1994年2月3日に解除した。制裁発動中は、訴訟できないので、訴訟期限は2004年2月3日までとなる。そして、ぎりぎりの今年1月31日に訴状を提出したのである。しかし、これを戦争犯罪として訴えるなら、期限はない。
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なぜ、ベトナムはぎりぎりまで待ったのか?それは、ベトナム人の文化とも深く関係している。ベトナム人には、もともと訴訟ではなくて、話し合いでものごとを解決する国民性がある。アメリカ高官が訪問するたびに、人道的解決を訴えてきたのも、その故である。クリントン大統領が国内で認めた枯れ葉剤被害による責任も、ベトナムには言及しなかった。しかし、法律で規定する期限もあり、アメリカの誠意をこれ以上期待できなかったのだ。(つづく)

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