2006-05-31

ベトナム戦争ー負の遺産 1

(この記事は、2005年6月24日の週刊ジェンタ紙に載せたものを加筆したものです)

今年(2005年は、日本は太平洋戦争終結から60周年。ベトナムも、ベトナム戦争終結から、この4月30日で30周年を迎える。私は、海外特派員生活のなかでも、ベトナムの枯れ葉剤被害者とは長くかかわりあってきた。いまも、患者や医師との対話を続けている。

左の写真は、30年前の1975年4月30日、北ベトナム軍の戦車が南ベトナム大統領官邸の正門を突き破り、構内に入って来た瞬間である。 そして、この後、サイゴンの南ベトナム大統領官邸の屋上に北ベトナムの国旗を掲げた男がいた。

下の写真は、旧大統領官邸で、現在は統一会堂と呼ばれている。

Posted by Picasa「大きな旗を持って入ってきた人を、私が案内しました。タンさんという北ベトナム兵でした。当時、タンさんが、ズオン・ヴァン・ミン大統領に向かって、『(屋上に)国旗を立てたいが、行き方がわからないので教えてほしい』と言いました。そこで、ミン大統領が、私に『この人を案内して下さい』と指示しました。私が大統領官邸のエレベーターのボタンを押してあげました。しかし、タンさんは扉が開いても中に入りませんでした。私は、『私も入りますから安心して下さい』と言いました。その頃北ベトナムにはエレベーターというものがなかったと思います。タンさんは入ると出られなくなると思ったのでしょう。私は屋上まで階段を歩いて案内しました。タンさんが国旗を差し込むまでは、私は屋上の建物の陰で待ちました。敵と間違えられて撃たれるといけないと思ったからです」

サイゴン(現ホーチミン市)陥落まで南ベトナム政権最後のズオン・ヴァン・ミン政権の情報相を務めたリ・クイ・チュン氏の貴重な証言である。

1975年4月30日、開戦の日無き戦争は終わり、あれから30年が経った。ベトナムは、過去フランス、日本、中国の植民地となり、侵略者の追放のために戦ってきた。

これらの戦争などで使われた武器は通常兵器であったが、アメリカとの戦争では、桁外れの破壊度の重火器、ナパーム弾、枯れ葉剤が使用され、穀物破壊から環境破壊まで幅広い被害を受けた。

歴史に残るこの強烈な爆撃作戦は、環境的にも、人類の健康にも永続性のある大きな問題を残してきた。人工物では史上最も猛毒のダイオキシンが入った枯れ葉剤が散布された。その量、約8000万リットル。しかも、軍事用に高濃度のものにされた。後に遺された人体・環境への被害は、とてつもなく大きなものだった。

その被害の大きさは、1975年4月30日という日には、誰にも想像のつかないものだった。ベトナム戦争は4月30日に終わったが、その日はまた、ベトナム人民にとって新たな闘争の始まりの日でもあった。この戦争は、ここオーストラリアにも、当然負の遺産を残してきた。戦争終結30年がすぎたにもかかわらず、化学戦争の被害者の健康は、何も回復されていないことが、何よりもそれを物語っている。


2006-05-29

人助け ベトナムに行こう!


募集(1) 
愛のベトナムさわやか支援隊
2006年度ツアー 
実績をつんで今年は12年目です。
日程:
9月19日(火) 成田11:00→VN955→14:30ハノイ(泊)

9月20日(水) 平和村(新谷文子のさわやか音楽療法)→友好村一日(新谷文子のさわやか音楽療法)

9月21日(木) ハイフォン市 ブー・ヴァン・グエンさん医療在宅訪問→ハノイ医科大学で車いすの贈呈式

9月22日(金) フート省旧女性兵士と交流 日帰り

9月23日(土) タインホア(清化)省孤児院(新谷文子の"シンチャオ”音楽療法+カレー夕食会)→ニンビン(泊)

9月24日(日) ニンビン省在宅訪問(ハイ君の冥福を祈る)→昼食交流会→幼稚園訪問(音楽療法=交渉中)or ビンさんの希望する施設(音楽療法=交渉中)を訪問→ハノイ (泊)

9月25日(月)  観光の日(バッチャン陶芸村 ホーチミン廟 女性博物館 旧市街(36通りなどから2ー3箇所) ハノイ(泊)

9月26日(火) 枯れ葉剤被害者協会副会長 グエン・チョン・ニャン副会長との懇談(被害者協会へ援助)→バクザン省施設訪問

9月27日(水) タイビン省の在宅訪問 マイ・フー・ホアット退役中佐宅 or 平和村の在宅訪問車に同行(交渉中) →ハノイ(泊)

9月28日(木) 出発までショッピング 23:10 ハノイ→VN958 →

9月29日(金) 早朝06:45 成田着 解散

この料金でこれだけ回れる!!
ツアー料金(1):9月19日-29日 全コースの方 180,000円/1人 
   ▲ツアー代金に含まれるもの:28食中26食(機内食を除く) 観光代 交通・移動費 通訳代 外務省職員への交渉費  空港往復のバス送迎。
   ▲ツアー代金に含まれないもの:アルコール代・清涼飲料代・洗濯代・電話代など個人に関わるもの。 旅行中の障害疾病保険。

ツアー料金(2):9月19日--25日2/3コースの方 161,400円/1人
   ▲ツアー代金に含まれるもの:19食中18食 以下上記に準ずる。
   ▲ツアー代金に含まれないもの:上記に準ずる。

上記予定は、訪問先の 被害者の体調などにより変更することがあります。
今までより参加しやすくしました。全コースと2/3コースと選択出来ます。
申し込み先:下記のいずれでも結構です。御連絡を下さい。
  Posted by Picasa
募集(2)
愛のベトナムさわやか支援隊の活動を充実させるために、一緒に活動できる方々を探しています

退職されたお医者さん(内科・外科・小児科)
生命工学・遺伝子を学ばれた方
退職された看護士さん
小学校の教師をされたことのある方
スポーツを得意とされる方

どんな楽器でも出来る方(種類は問いません)
手品の上手な方☆折り紙が得意な方  針仕事の好きな方 
アイディアの豊富な方  若さ溢れる方  人に奉仕したいという方
何でも得意な方々。1年間に1週間くらい時間をご都合出来る方・・
ベトナムの枯れ葉剤の患者たちを助けませんか?
連絡先:★ベトナム枯れ葉剤被害者支援の会(会長:大釜 一男) 
所在地:〒411-0801 三島市 谷田夏梅木 764-22
電話:055-971-0881
★支援隊事務局(事務局長:宮尾和宏) 
所在地:〒411-0802 三島市 東大場 1-19-5 
電話:055-976-8822

2006-05-25

拝啓 コフィ・アナン国連事務総長殿

Posted by Picasa (これは、ベトナム・エージェント・オレンジ/ダイオキシン被害者協会がアナン国連事務総長宛てに送った書簡の内容を当会に送ってきたものです。日本語文章は公式の訳文ではありません)

国連事務総長 コフィ・アナン閣下殿

親愛なるアナン事務総長殿

本年2006年6月25日-26日のベトナムご訪問にあたり、貴総長に、エージェント・オレンジ・ダイオキシンベトナム被害者協会として丁重なるご挨拶を送らせて頂きたく存じます。

2006年6月5日、国連は、世界が認識すべき、そして国連が注目すべき10項目を採択されます。それは、人類が無視することの出来ない平和、生命、人類的同苦、良心に関係した問題を含んでいるからです。

親愛なる閣下

私たちは、この国連のイニシャティブを多いに歓迎するものです。しかしながら、一部の国だけでなく、同様にベトナムにおける緊急事態・・エージェント・オレンジ/ダイオキシンの300万を超える被害者が、国際社会の支持と支援を必要としていることをお知らせ致したく存じます。

ベトナム戦争中の1961年から1971年まで、アメリカ軍はおよそ8千万リットルの有毒化学物質をベトナム南部に撒布しました。その大半はエージェント・オレンジです。そのエージェント・オレンジには、約400キログラムのダイオキシンが含まれていました。科学では最も有毒の物質です。これらの有毒化学物質は、人間の健康とベトナムの生態系に大きな危害を加えました。

戦争は30年以上も前に終わっています。ベトナムは戦争の惨禍から立ち直りつつあります。にもかかわらず、ダイオキシンに被曝したおよそ480万人のうち、300万人が多くの不治の病の犠牲者になっており、何千という人々がもがき苦しんで死んでいきました。数え切れないほどの女性が、出産事故に見舞われました。そして、母になることの機会を失ったのです。ダイオキシン犠牲者の中に出生時に先天性欠損症をもった赤ちゃんが含まれているという事実は、最も痛ましいものです。最低の幸福--それは普通の人間が生きていく能力です--すらも享受できない恐ろしい障害をもつ赤ちゃんが、過去にも今も存在し、将来もまた生まれることでしょう。

ベトナムの被害者に加えて、ベトナム戦争に参加したアメリカ、韓国、オーストラリア、ニュージーランドの多くの復員軍人もまた、エージェント・オレンジ/ダイオキシンの影響による疾病に苦しんでいます。カナダのゲージタウンの住民や他の多くの場所の人々は、自分たちの病気と、ベトナムでの使用のためにアメリカ軍用に製造・供給したエージェント・オレンジ/ダイオキシンとを結びつけ始めています
。(註:このことについては、いつか述べてみたいと思っているーー北村 元

これらの理由から、2006年3月28日-29日、ベトナム、オーストラリア、ドイツ、ニュージーランド、韓国、ロシア、スイス、イギリス、そしてアメリカの被害者代表が参加して、エージェント・オレンジ/ダイオキシン被害者国際会議がベトナムの首都ハノイで開催されました。会議は、利益を追求したアメリカ化学企業が引き起こした国際法違反、人権侵害、膨大な荒廃を確認するアピールを発表しました。会議は、犠牲者に損害賠償の支払いを訴えました。アピールはまた、世界中の人々に、エージェント・オレンジ/ダイオキシンの被害者の苦闘を進んで支援し、各国政府、国際、国内、非政府組織がエージェント・オレンジ/ダイオキシンのベトナムの被害者に積極的な援助を与え、ベトナムがこの化学戦争の甚大なる負の遺産を克服できるように訴えました。

この故に、2006年4月20日、イギリス議会の28議員は、アメリカがベトナムの犠牲者に賠償することを求めて早朝動議に署名しました。また、イギリスの雑誌“エコロジスト”(2006年5月号)は、毎年8月8日を国連が化学兵器犠牲者のための国際祈念日に制定することを採択すべきだとする提案の支持を民衆に求めました。2006年5月6日-8日フランスで開催された“核・化学・生物兵器禁止国際会議”で、AndrD Buoy“エージェント・オレンジ・ベトナム犠牲者によるニューヨーク訴訟支持国際委員会”委員長は、ベトナムの犠牲者を支持することは平和支持と同義だと訴えました。

エージェント・オレンジ/ダイオキシンの被害者の受けた痛みは、同時に人類の痛みであることは言うまでもありません。これらに鑑みて、国連はこの状況をご認識頂き、適切なる行動を取られることをお願いする次第です。

親愛なる閣下

ここに謹んで、上記に述べたエージェント・オレンジ/ダイオキシン被害者国際会議が採択した宣言書とエージェント・オレンジの被害者の悲劇的状況を示した写真集“エージェント・オレンジ犠牲者のために”を同封させて頂きます。
私たちは、ベトナムと他の国の被害者に閣下がよりご理解を下さることを希望し、また国際社会がより実際的な援助をしてくれることを希望します。

最後に、閣下のますますのご健康と尊貴なご使命のご成功をお祈申し上げます。
敬白

署     名

ダン・ヴー・ヒエップ
ベトナム・エージェント・オレンジ/ダイオキシン被害者協会会長

(翻訳:北村 元=在シドニー フリーランス・ジャーナリスト)

2006-05-22

ハイ君 さようなら(2006年5月20日没)

ハイ君 さようなら。

助けられなくてごめんなさい。
土曜日に亡くなられたのですね。 22日の月曜日連絡を受けました。


バクマイ病院で、ニャンちゃんと検診を受けて、一生懸命がんばってくれたのに!
私たちも、元気になるのを楽しみしていたのに、本当に残念でした。
もうあれ以上我慢が出来なかったのでしょうね。精一杯、生きようとしてくれたのですね。
友達と遊びたかったでしょう。学校に行って勉強もしたかったでしょう。お母さんのお手伝いもしたかったでしょう。畑で田植えもしたかったでしょう。したいことが一杯あったのに。

我慢強いハイ君に、私たちは学びました。命の大切さ。支援することの大事な気持ち。

お兄さんの後を追ってしまったのですね。なんにもまして、お母さんのビンさんが寂しい思いをしていらっしゃることでしょう。
妹のニャンちゃんを、見守ってあげてください。 精一杯応援させてもらいます。


東京・文京区からも「頑張って下さい」と応援してくれている多くのお母さんたちがいました。ハイ君のことをしらない人が、こんなに集まってくれました。
すごいことです。国境を越えて、君のために集まってくれた人たち。小学生もいます。お小遣いを出してくれた子どももいます。皆 心配していました。山本邦子・保原裕美さんのグループです。


19歳は、あまりにも若すぎました。速すぎました。
ハイ君、来世には、元気な体で生まれてきてください。
安らかに眠ってください。

さようなら。

愛のベトナムさわやか支援隊(責任者 
大釜 一男)
Posted by Picasa